Mesoamerica

ポポル・ヴフ

ポポル・ヴフについて エル・ミラドール


構成
ポポル・ヴフは創造、祖先、歴史、宇宙論を含むテーマ範囲を網羅している。ニューベリー図書館の肉筆文書は章に分かれていないが、比較研究を容易にするため、1861年の普及版ではシャルル・エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブールブールが充てた章構成を採用した[注釈 13]。テドロックとクリステンソンが検討したように幾つかバリエーションもあるが、林屋永吉によって日本語に翻訳されたアドリアン・レシーノス版では次のような形にまとめられている。

序文
イシュムカネーとイシュピヤコックの紹介、『ポポル・ヴフ』を書く目的、大地の測定についての導入部[35]。

第1部
創造説話―ツァコルビトル、テペウとグクマッツ、アロムとクァホロムと呼ばれる原初の神によって大地や樹木、動物、そして人間が創造された。最初の人間は土と泥で創られたが、水を含むと溶けてしまった。2番目の人間は木から創られたが、彼らは知恵を持たず、フラカンと呼ばれる天の心のことを思わなかったために、天の心は洪水を起こして彼らを洗い流した[36]。シェコトコヴァッチ、カマロッツ、コッツバラム、トゥクムバラムによって彼らは滅ぼされた。彼らの生き残りは森の中のサルになった。
双子の英雄であるフンアフプーとイシュバランケーが、傲慢なヴクブ・カキシュおよびその息子シパクナーとカブラカンを計略を使って殺し、「秩序と均衡を世界に回復する」[36]。

ツァコル創造主ビトル形成主、テペウとグクマッツ、アロムとクァホロムだけが水の中に光輝いていた。それゆえその名をグクマッツといった。彼らは偉大な知恵者、偉大な哲人の資質を備えていた


第2部
フンアフプーとイシュバランケーの父と叔父、フン・フンアフプーとヴクブ・フンアフプー(イシュムカネーとイシュピヤコックの息子)は、シバルバーでの球戯で殺された[36]。
ヒョウタンノキ (Crescentia) にさらされたフン・フンアフプーの頭がシバルバーの主のひとりであるクチュマキックの娘イシュキックの手に唾を吐きかけると、彼女は子を身ごもった[36]。
イシュキックは義理の母イシュムカネーの元に行くため、地下世界を去る[36]。イシュキックはそこでフンアフプーとイシュバランケーを産む。フン・フンアフプーの本来の妻のイシュバキヤロの子であるフンバッツとフンチョウエンはフンアフプーとイシュバランケーを殺そうとするが、逆にサルにされる。
フンアフプーとイシュバランケーはその後、その父と叔父を殺したシバルバー王フン・カメーとヴクブ・カメーに挑み、敵討ちに成功して太陽と月になる[36]。
エル・ミラドールの水路から発見された彫刻。フンアフプとイシュバランケと思われる

第3部
ツァコルとビトル、テペウとグクマッツ、アロムとクァホロムはトウモロコシから人間を創ることに成功する[36]。キチェのリネージの祖先にあたる4人の男(バラム・キツェー、バラム・アカブ、マフクタフ、イキ・バラム)とその4人の妻も創造される[36]。
人間たちは夜明けの来るのを待つ。はじめ東方に住んでいた人々は7つの洞穴(ヴクブ・ペック)とも呼ばれるトゥランへ行き、ここでキチェの祖先たちは主神であるトヒル、アヴィリシュ、ハカヴィツ神を得る。トゥランで人々の言葉は変わってしまい、カクチケルやラビナルはキチェの言葉が通じなくなる。
トヒル神に導かれ、キチェの祖先はトゥランを去って今のキチェの山々にやってきて、そこで夜明けを迎える。太陽が登ると地の表面が乾き、トヒル・アヴィリシュ・ハカヴィツ神は石になる。他の人々であるヤキ(トルテカ)はメキシコへ行き、テペウ・オロマン(オルメカ)は東方に残る。

※・ポポル・ヴフ訳注によれば、
ヤキはメキシコ人、トルテカ族。メキシコの原住民である古代トルテカ族やナウア族が南部のマヤ族といっしょになってグアテマラの原住民の起源となった。
テペウはキチェ族とともに移動したトルテカ起源の部族のひとつ。オロマンはメキシコのベラクルス南部にいたオルメカ族

第三章:太陽も光もまだ現れていなかったころのことである。彼らはみな一緒に大勢で住んでいて、あの東のほうで歩き続けていた
東方とはユカタン半島。さまざまな皮膚の色、さまざまな言語を使う人々が大勢いた

第四章:夜が明けるのを待っていた祖先の四人はある町の話を耳にする。トゥラン・スイヴァ「トゥランの洞穴」、ヴクブ・ペック「七つの洞穴」、ヴクブ・シヴァン「七つの谷」、ナワトル語でチコモストク。彼らはそこへ、神を迎えに行った。

第五章:創造者ツァコル形成者ビトルの使者を名乗る者は、火が欲しければ捧げものをせよと、要求する

あられや黒い雨が降り、霧がかかり、言いようがない寒さ
第六章:トヒールら、バラム・キツェー、バラム・アカブ、マフクタフとイキ・バラムたちはトゥラン(東方)を去った?
第七章:
第八章:バラム・キツェーらは神々を担いで暗闇のなか、海を渡った。海は割れていて砂の上を歩いて渡った。
祖国(=トゥラン=東方 ?)にいるときは、みんな同じように考え、同じようにかんじることができたのに、今ではどうしてこんなに離れ離れになったのだ
第九章: 太陽は人間と同じような姿をしていたが、地表を乾かすその顔は燃えたっていた。
実際、太陽が現れるまでは、地表はじめじめとし、どろどろとしていた。しかし、太陽は上った。人間のように立ち上がって登っていった。太陽の熱はとても耐えられないほど熱かった。そしてそのうち、太陽は鏡のような形になっていった。
歴史の伝えるところによれば、この太陽は今われわれが見ている太陽と、まったく同じものではない、ということである。

彼らは東方からきた


第4部
各部族はキチェの祖先である4人を殺そうと謀るが、負けてしまう。その後、4人はハカヴィツ山の向こうに消えるが、彼らの子孫が首長として統治する。彼らはいくつかの新しい町に住むが、第5代のときにグマルカアフ(ウタトラン)にやってきて、ここでキチェは強大になり、24の大家に分かれる。キカブ王のときにあらゆる部族を征服した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%83%95


第六章:父親たちがやって来た、あの東方…海の彼方
第七章:…彼らがその後、居を定めた所はチ・イスマチーという町(…この町はキチェの最後の首府ウタトランの南にあった…)であった。彼らはこの地で勢力を拡げ、第四代目の王の時には石と石灰の建物(…文字通りには「石灰と石膏を粉にひいた」であるが、ヒメーネスもブラシュールも「石と石灰で家をつくった」と訳している…)を造りあげた。




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