江戸期の諏訪 

中山道及びその風俗

氷餅(こおりもち)

転載元hhttp://rarememory.sakura.ne.jp/edo/edo.htm


 氷餅とは、冬の寒い時に作るもので、朝晩の冷え込みが厳しく、日中は晴れて乾燥する諏訪地方独特の気候の下、凍結と解凍を何日も繰り返して徐々に乾燥させて干し上げて作るもので、寒天、凍り豆腐と並ぶ諏訪地方の厳冬期の特産品。
 江戸時代の氷餅は、高島藩の藩士らによって保存食、携帯食として作られていたが、蕃の独占事業になり、城の本丸に製造所があり、徳川幕府への献上品とされ、他藩主の贈答品になった。また家臣に下賜されることもあった。そのころは1年に10俵から15俵の米を消費する程度であった。
 農家では、戦前、六月の農繁期に、冬作っていた氷餅を凾(かん)から取り出し、茶碗に入れて熱湯を注ぎ込むだけで、とてもおいしく、猫の手も借りたいくらい忙しい時の休息には、簡単にでき、しかも栄養のあるものとして、どこの家庭でも大寒を中心に餅をついて作って保存食とした。
 今では、氷餅を細かく砕くとキラキラ光る雪粒のように見えることから、和菓子店では菓子の表面にまぶす装飾材として使われることが多い。
 明治以降、農家にも生産は普及したが、食生活の変化などに伴い、今では数軒の業者が主に和菓子の材料向けに生産しているだけ。ただ、自家消費のために氷餅を作る家庭は今も少なくない。氷餅を砕いて器に入れてお湯を注ぎ、砂糖を加えるなどして離乳食や病人食、子供のおやつにする。








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