八島湿原


氷河時代の日本

転載元・http://rarememory.justhpbs.jp/hyouga/h.htm


 長い「氷河時代」が重要なのは、人類の進化に影響しているからです。大規模な氷期がやってくる以前の日本の気候は温暖で、栗・胡桃(くるみ)・栃(とち)・アケビなどの落葉広葉樹林におおわれて、採集食糧に恵まれていました。
 一度、氷期が訪れると海岸線が極端に遠退き、陸上の大部分が氷に覆われます。そのため動植物が激減しますから、動植物を食料とする狩猟採集生活の人類にとっては、大きな打撃となります。人類になる前(猿人)は、樹上生活でしたが、氷期の環境で木の実が激減して、昆虫などの食料を求めての地上の移動生活をよぎなくされ、足歩行を開始して人類となった というのが通説です。
 直立歩行、道具と火の使用を特徴とする人類は、数百万年前に、サルから分岐して、足歩行により、人類は過ごしやすさと食料を求めて、移動しながらの採集狩猟生活をするようになりました。気候が寒冷化し乾燥化すれば、人々は食物を求めて大挙移動を始めます。更新世前期(170万年前~70万年前)に3回の氷期が到来しましたが、原人たちは温暖な気候・適地を求めて、地球全体へ広がっていきました。その間に全滅した集団も多く、環境の変化に適応した者のみが、原人から旧人へ、旧人から新人へと人類は代っていきました。
 日本列島への人々の移住も、大陸との往来が可能になり、気候変動を主因とする数次にわたる民族移動の結果でした。動物・植物の移動もありました。長野県の野尻湖湖底で発見される、ナウマンゾウ・オオツノシカ・寒冷地植物種子からも確認されます。今から2万年前頃、ヴュルム氷河期(第四紀氷河時代の最後の氷期;第4氷期、5万3千年から1万年前、旧石器時代の最後期) の最終氷期の最寒冷期にあたります。年平均気温も現在より7~8度低い、海水面は地球上の水分の凍結により120mほど低下しました。地球の寒冷化によって氷が溶けず、海水の量が減少したためです。その結果海底の一部は、海上に姿を現し陸地化しました。
  ヴュルム氷期には海面が最大で、140m も低下したと言われています。そのため、日本は朝鮮半島やサハリンと陸続きになって多くの動植物が日本にやってきました。現在のベーリング海峡もヴュルム氷期には陸地化して、アジア大陸と北米大陸が陸続きになっていました(ベーリング陸橋)。日本海は狭くやがて海でなくなり、朝鮮海峡や津軽海峡は陸地化し、「陸橋」が列島と大陸を結んでいました。その数万年間の単位で、断続的に大陸と「陸橋」と「氷橋」を経由して繋がり、人類と動植物の移動が生じます。最寒冷期の2万年前頃の日本列島は、寒冷で乾燥した大陸型の気候でした。閉ざされた狭い日本海に、対馬海流の暖流は流れず水蒸気は乏しく、日本海側の冬の降雪量が少なかったのです。  








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