知っていることを忘れなさい ジェイコブ・バーネット TED 講演会
ハーイ、ジェイコブ・バーネットです。 楽しんでる?
ぼくは今日、「知っていることなんて今すぐ忘れてしまえ」ということを言うためにここに来ているんです。
まず、みんながわからなければならないことは、たとえば、みんなは宿題をするよね? 宿題はやらなきゃならないことだと思ってる。
宿題をちゃんとやっていれば、良い成績がもらえ、素敵なご褒美がもらえる。
ちょっとしたお小遣いとか、いいものがもらえると思っていないかい?
それは間違いなんだ!
「みんなは間違っている」というのが、ぼくの言いたいことなんです。
うまく行かせようと思ったら、すべて自分独自の見方をしなきゃならない。
どういうことかというと、考える時には、既存のものを受け入れないで、自分なりの創造的な仕方で考えなければいけないってことなんですよ。
ものを見る時には、美術でも歴史でも音楽でも何でもいいけれど、自分にしかできない見方をする。
ここで、ぼくの数学の見方をお見せしましょう。
たとえば、これは 32 で、回転は、足し算、引き算、かけ算などを表しています。
さて、今日、ぼくがここに立っている理由は、量子力学の話をするためです。
今日やることは、シュレーディンガー方程式を、時間に対して不変な要素に分解して、それを格子と、その中の1個の粒子という、境界条件に対して解くということです。
じゃあ始めます!
講義ノートがあるので回してほしいんですが、2列にわけるので、どなたか取りに来ていただけますか?
ちょっと待って下さい。その前に、ひとつ言っておきたいことがあるので。
(と言って、その講義ノートをすべて放り投げる)
(笑)
ぼくは皆さんを量子力学でビビらせに来たわけじゃないんです。
もっと簡単なことを考えましょう。
「円」というものがわかる人は、どのくらいいますか?
では、なぜ、円は重要なのでしょうか。
クッキーの形だからでしょうか? スケボーの車輪の形でもありますね。 何より重要なのは、Xbox 360 に命を吹き込む形だからですよね(笑)。
学校では円についてどう習うでしょうか。
π・r 2乗とか、丸いとか・・・他にありますか?
まあ、それくらいだよね(笑)。
円について、ちよっとおもしろいことをお教えしましょう。
ジョンソンの定理っていいます。
定理っていうより、数学者のものの見方です。
ジョンソンが言ったのは、3つの同じ大きさの円を重ね合わせて、6本の青い線が … 円を青で描いたとしてですが、6本の線が1点で交わるようにしたとき、円が交わる他の3点は、同じ大きさの円の上にあるということです。
これはπ・r 2乗とは違う新しいことです。
なぜなら、ジョンソンは、「円はπ・r 2乗で丸い。それで終わり」というようには考えずに、数学を作ったわけです。彼独自の見方をして、そうしたんです。
ここにいるみんながみんな数学の才能に恵まれているわけではないことは知っているので(笑)、もっとおもしろい話をしましょう。
中高生以上の皆さんなら、アイザック・ニュートンを知っていると思います。
あの、プリズムとかで、何かやった人です。
ニュートンは 1965年に、ケンブリッジ大学にいました。
歴史が得意な人は知っているでしょうが、ペストの流行のため、ケンブリッジ大学は閉鎖されました。
ニュートンは学ぶことができなくなったのです。
学ぶのをやめて、おそらく寮に閉じこもり、飼い猫と一緒にペストから逃げていたのでしょう。
学ぶことはできなくとも、考えることをやめたくはありませんでした。
それで、ニュートンは天体物理の問題を考えることにしました。
特に、地球を回る月の軌道を計算したかったんだと思います。
ニュートンがやったのは、この問題を解くために微積分を作り、運動の3法則を見つけ、万有引力の法則を見つけ、法則を検証するために、反射望遠鏡と光学を作り、そういったものすごいことを「学べなかった2年の間に」やったんです。
当時、ニュートンが学べなかったのは、ぼくらみんなにとって、とてもいいことだったのです。
学ぶことをやめたことで、自分で考え始め、新しい科学を作ったんです
よかったですよね。
そのおかげで、あの物理学理論があるんですから(笑)。
ニュートンは学者になったり、オールAを取ったり、成績優秀者リストに載ったり、教授のお気に入りになることはできたかもしれないですが、もし、あの時に、学ぶことを「やめなければ」何も創ることはなかったでしょう。
理論を新しく生み出すときに、ニュートンは自分で考え始め、独自の見方で物事を見る必要があったんです。
最初に自己紹介をやらなかったので、ぼくの自己紹介をきちんとしておきたいと思います。
11年前(2歳のとき)、ぼくは自閉症と診断されました。
ぼくは物事に極端に集中してしまうため、周囲からぼくは何も考えていないように見えたようです。
だから、ぼくは、「ここに光が反射しているから、光源は上。そして、ぼくの影はここだから、光はあっちから来る」と思って見上げると、その通りという感じだったんですね(笑)。
そんなことで、周囲は、ぼくは学ぶことができない子どもだと思ったんです。
じっと空を見上げ続けているだけで、ぼくが何もしていないように見えたので、みんなは、ぼくが何も学ばず、何も考えず、何も話さず、靴紐も結ばず・・・あ、それは当たっているかも。いつもサンダルだから(笑)。
でも、ぼくはその頃、大きな本屋に行って教科書を買い、本のデータからケプラーの法則を導いたんです。ぼくが何も学びも考えもしないと思われていた時にです。
他の人から見たら、ぼくは芳しくなくて、普通の2〜4歳の子どもがするような、フィンガーペイントだとか、お話とかをやらなかったんです。
それで彼らがやったのは、僕に特殊教育をほどこすということでしたが、それはものすごく特殊でした。何しろ何も教えなかったんですから(笑)。
それで、ぼくは学ぶのをやめなければなりませんでした。
特殊教育のために、学ぶ方法がなかったんです。
そんなわけで、ぼくは何も学ぶことができませんでした。
でも、その時に、影の付き方だとか、そんなことを考えるようになり、それが今、天体物理学とか物理学とか数学が好きな理由だと思います。
学ぶのをやめたことが、今日のぼくがある理由なんです。
じゃあ、重力の話をしましょう。
ニュートンの後に何があったのかというと、ニュートンの後 200年くらいすると、物理学者がニュートンによる軌道をチェックするのに十分な実験技術が発展しました。
ニュートンの予想によれば、水星の軌道は長円です。科学者は「楕円」と言っていますけれど、しかし、望遠鏡を向けてみると、それは違うことがわかりました。
これです(左はニュートンによる水星の軌道。右が正しいらしいです)。
まあ、科学者の方なら、この絵がすごい誇張だってわかるでしょうけれども。
いずれにしても、何と! ニュートンは正しくなかったのです。 史上最高の物理学者であり、最高の頭脳が間違ってたんです。
彼は間違った!(笑)
だから別の人間が必要になるわけです。 ニュートンがやったようなことをやる人間が。
知っていることを「すべて」忘れ、すべてを創り直すのです。
「再創造」です。
その人物が、アルバート・アインシュタインです。
アルバート・アインシュタインも行き詰まりました。 あまりうまくいってなかったんです。
アインシュタインはユダヤ人で、ナチスが台頭する前のドイツで大学の職を得られませんでした。それで、彼は特許事務所で働いたのです。理論物理とは関係のない仕事です。
あのアインシュタインがです!
それで、アインシュタインには突如として考える時間がたくさんできたのです。
学ぶことをやめなければなりませんでしたが、考える時間は、たっぷりとあったのです。
それで彼がやったことは・・・彼は思考実験が好きで、あらゆる違う考え方を試したんです。
アインシュタインは想像してみました。
自分が2人の友だちとトランポリンの上にいて・・・うーん・・・アインシュタインに友だち2人は多すぎますかね(笑)。
アインシュタインは1人の友だちと一緒に、トランポリンの上でテニスかなんかして遊んでいたんだと思います。
何しろ物理学者ですから、運動神経がそんなに良くなくて(笑)、テニスボールを掴み損ねて、ボールが周辺にゴロゴロ転がったとします。
これを見て、アインシュタインは叫びます。
「摩擦がなければ、これが重力だ!」と。
「これが重力なんだ!」と気づいたんです。
それで、とてもクレージーな動きを予想したんです(下の図)。
アインシュタインは独自の見方、独自の考え方をすることによって、問題を解いたんです。
学ぶことをやめて、考えることを始め、創り始めたんです。
ぼくの昔の話に戻りましょう。
ぼくは周囲からは芳しく見えなくて、隅に放っておかれたという話でした。
3年前のことですが、サボりたい数学の授業があったので、そうできるようにするためやることにしたのは、代数と三角法と、その他、中高で習う数学と大学1年の解析を、すべて2週間で勉強してしまうということです。
そうしたら、あとはサボっていられますから。 10歳の時でした(笑)。
当時、大学への願書が受理されました。これも 10歳の時でした。 それで面接試験を受けに行かなければなりませんでした。大学に入るのに必要なんです。
面接を受けに行ったとき、駐車場に払うための硬貨をたくさん持っていたのですが、それを何と、面接官の部屋で床に全部ぶちまけてしまいました。
このことで、ぼくは常識を欠いているという印象を持たれて、入学は丸々1学期保留されることになったのです。
それで、ぼくは学ぶことをやめなければなりませんでした。
それで何をしたか。
学ぶのをやめて、テレビゲームで遊んでいたのか?
違う!
ぼくは「形」について考え始めたのです。
そのとき、ぼくは、天体物理学のある問題について考えていました。
当時、天体物理にとても興味があったんです。 もちろん、今も興味があります。
次の2週間、いろいろな形について考え、その問題について考え、そうしたら問題が解けたのです。
天体物理の問題を解いたわけですが、それは基本的に、アインシュタインやニュートンに起きていたのと同じことです(学ぶことができなくなり、考えるようになったこと)。
まだ発表していないので、正確にどういう問題なのかは言いませんけれど、論文が出たら、それとわかるでしょう。
ぼくは、そういった問題を考えるのに、量販店で売られている 500枚組の安い紙を使っていましたが、考えているのが、多次元の話だったので、紙がすぐ足りなくなるのです。
紙を切らすと、ホワイトボードに移動しましたが、ホワイトボードなんて、すぐにいっぱいです。
それで今度は家の窓に移動しました。
それからぼくはマジックリンと戦うことになります。あの邪悪なマジックリンに、ぼくの数式が消されてしまいます。
そのうち、ぼくが公園とかに遊びに行かないで、窓に変な図形ばかり描いていることに、両親が気づきました。
ぼくがやろうとしていたことは、基本的に反証です。
ニュートンみたくはなりたくないですので。
100年も経ってから、間違いを証明されるなんてごめんです。
それで窓に行って、反証しようとしたんですが、できませんでした。
その後、両親は、ぼくが公園に行くべきだと考えて、プリンストン大学から誰か呼んできて、ぼくに対しての「反証」をしてもらうことになったのですが、ぼくのやっていることはどうやら正しそうだということになって、両親の計画はうまくいきませんでした。
公園はナシになりました(笑)。
ぼくは、学ぶことをやめなければならなかったことによって考え始め、問題を解いたんです。
その後、微積分のビデオを制作することにしたんです。微積分を学びたいというような変人も3人くらいはいるかもしれないし(笑)。
それで作ったんですが、12歳で微積分のビデオを作っているということで注目され始めました。
最初に取り上げたのは、インディアナポリス・スター紙で、一面で取り上げられました。写真が出ていますが、この時、ぼくはサンドイッチを食べていました(笑)。
おいしかったです。
それ以来、ぼくの微積分のビデオが大人気になりました。そもそも微積分のビデオが人気になるなんて誰が思ったでしょうかね(笑)。
外国語にも翻訳されました。それから、フォックステレビの人から連絡があって、その人の窓に書くことができることになりました。フォックステレビは窓がすごく広くて良かったですね(笑)。
それから、いろいろな変な人が家に訪ねてくるようになりました(笑)。 これは CBS 60 ミニッツのモーリー・セーファーです。
写真をよく見ると、ぼくは今と同じサンダルを履いていますね(笑)。
まとめみたいなことをしましょう。
アインシュタインやジョンソンやニュートンといった、ぼくがこの講演で取り上げてきた人たちは、みんな天才だったんでしょうか?
それが彼らを特別にしていたものなのか?
天才だったからできたのでしょうか?
それはちがう! 絶対に!
天才だからじゃないんです!
この人たちはみんな「学ぶところから考えるところ」へと、そして「創るところ」へと変化を辿っているんです。
メディアはそれを単に天才だと言っていますけれど。
まあ、彼らの IQ が比較的高かったのは確かでしょうけれど、しかし IQ が高くても、こういったことが何もできない人たちもたくさんいて、例えば、ただ円周率を 20万桁とか覚えて、それでおしまいとか。
なぜ他の数字を覚えないのか疑問です。たとえば、今ぼくが着ている黄金比(φ)などを(笑)。
ぼくは、そもそも、このようなところに立つことを期待されていませんでした。
言葉を話すようにはならないと言われていましたから。
あの時のセラピストたちがどこかでこれを見たら卒倒すると思いますよ(笑)。
ぼくは、話せないと思われ、学べないと思われていましたが、今日ここに立っています。そして、何百人ものニューヨークの人を前に話しています。
今日の話から皆さんに持ち帰ってほしいことは何か?
皆さんにやっていただきたいことは、次の 24時間、まあ、土曜日ですが学校があったりとか、いろいろとある人もいるでしょうが、次の 24時間は、学ばないで下さい!
これから 24時間、学ぶことを禁止します。
その代わりにやってほしいのは、何かの分野に・・・皆さんは何か好きなことがありますよね? ここで少し話しただけのぼくは、皆さんが何に興味あるのかわからないですが、みんな何か好きなことがあって、それが何かは、自分でわかっていることでしょう。
その分野について学ぶかわりに、その分野について考えてほしいのです。
その分野の学生になる代わりに、「分野そのもの」になってほしいのです。
音楽でも建築でも科学でも何でもいいです。
その分野について考えてほしい。
そうすれば、あなたは何かを創り出すことができるかもしれないのです。
翻訳http://oka-jp.seesaa.net/article/420843488.html |