Mesoamerica

テオティワカン-考察 神々の都の誕生と衰退

嘉幡 茂・著
メキシコでは首都メキシコ・シティ近郊で繁栄した古代遺跡が前面に押し出され、きれいに公園化されたテオ ティワカン、トルテカアステカの遺跡に観光客も研究費も大量に流れています。このおかげで、周辺部の歴史は過小評価される傾向にあり、研究も進んでいないのです。私たちはメキシコ・シティから山脈を隔てて東にあるプエブラ 州で考古学調査を行っており、新たな発見からメキシコ古代史を書きかえる必要性が生まれてきました。


古代メソアメリカの世界は魂に満ち溢れた世界だった。彼らはあらゆるものに神々が宿り、あらゆる自然現象に神々の意思が反映される世界観を持っていた。
メキシコ中央高原(標高2,000m超)では、山や火山は重要なものだった。ポポカテペトル山(5,426m。ナワトル語で「煙を出す山」「煙を吐く山」。メキシコ国内有数の未確認飛行物体が多数目撃される地帯)、イスタクシワトル山(5,230m。メキシコ中央部,トラスベルサール山脈にある)、ネバド・デ・トルーカ山(4,704m。)はじめ、様々な高山がそびえ、これらは霊峰として崇められるだけでなく、世界の中心、人類の発祥地、社会秩序と権威の源泉の象徴として社会的に認知されていた。
ちなみに古典期(マヤ地域では後200~900年、メキシコ中央高原では後200~550/600年)のマヤ地域ではこの「聖なる山」のことを「真実の原初の山」と呼んだ。聖なる山を中心に四方に地上界が広がると考えていた。
また「聖なる山」には、守護神の国(天上界)、死者の国(地下界)へ通じる扉としての機能も付与されていた。
この世が、天上界、地上界、地下界の三層により構成されているという世界観。「聖なる山」はこれらが垂直に交わる場所であり、人類はそこで誕生した。この創世神話を知的体系化し、物質化することで、人々はこの世の安寧が保たれると考えていた。
「聖なる山」が世界の中心である理由は、地上界が単に水平方向に延びる世界の中心に位置するだけでなく(水平軸)、上下垂直方向へと延びる五番目の方位軸(垂直軸)をも作り出しているからである。ゆえに、「聖なる山」は世界の要である。古代人はこの山を舞台とし、各層に生きる存在と交信することが可能であり、行き来できる連続した空間であり、この舞台での儀礼行為を介して、先祖、異世界の神々、精霊が与える恩恵に授かる権利を獲得できると信じた。
重要なのは、これが観念上の問題に留まらない、ということである。
いつしか古代人は、この「聖なる山」を自分たちで造ることはできないかと考えた。

古代メソアメリカ文明のピラミッド(モニュメント建造物)の多くは「聖なる山」のレプリカである。これを大集落や都市の中心部に建造することにより、異世界の神々、先祖、精霊と交信し、世界の安寧を掴もうとした。世界観を物質的に復元する作業を行っていたのだ。
当初からピラミッド型をした建造物が造られたわけではなく、自然の地形を整地し、この上に基壇を造り上げ、観念上の「聖なる山」を物質化していったと考えられる。

地下界とはどのような方法で繋がることが可能だったのか。

四つの部屋状空間
テオティワカンの「太陽のピラミッド」の地中には97,4mに及ぶ人工洞窟が存在し、「太陽のピラミッド」とほぼ同時期に造られた。洞窟はピラミッドの東西中心軸上にあり、入り口はちょうど西正面に存在する。この四つの空洞は地上界と同様、地下界の中心から四方に空間が広がることを暗示していると考えられる。
地上から「太陽のピラミッド」を登る行為は天上界に、そして人工洞窟を進む行為は地下界に至る旅路の暗喩。
「太陽のピラミッド」の頂上にはウェウェテオトル(アステカ神話の火の神)の狼煙台があり、「太陽のピラミッド」の存在理由は新火儀礼(太陽の存在やさらなる活力を伴い、その再生を願う儀式)を実施するためであったと指摘されている。
同様に、洞窟の内部でも大地や水の神を祀るための儀礼が行われており、地下界の神々と交信して死者の再生や作物の豊穣を願ったと考えられる。
この垂直配列は「ケツァルコアトルの神殿」でも確認されている。「月のピラミッド」は2017年現在、調査中である。
筆者(嘉幡)は、この物質化を都市内の複数の地点で大規模に実現できたことが、テオティワカンがメソアメリカ地域の大部分において影響力のある強大な国家に成熟するに至った理由ではないかと考えている。

物質空間としての都市
古代メソアメリカ文明の大集落や都市は、天上界や地下界の神々や先祖と交信するためのピラミッド郡と地下施設を中心に形成された。これらの土木大事業を実施するには。集権化、富みの集積、技術力が必要となり、古代メソアメリカ文明の都市とは、政治的、経済的、宗教的中心地であり、人口が密集する場所と捉えることができる。
さらに都市と村落という対比関係から見た場合、都市は自然景観から切り離され人工的に作り変えられた空間であるといえる。

古代メソアメリカ文明における都市の本質は、物質的豊かさを基に形成された物質空間にはない。社会的靭帯を、より大規模に可能にさせた象徴空間として理解すべきである。つまり、物質的側面に認められる豊かさは、この社会的靭帯の成功がカギとなっていると考える。さらに社会的靭帯の成功とは、自然景観に存在する各要素(山や川など)のシンボル化とその共有化によると筆者は主張する。

メキシコ中央高原では、人々がより多く集まる空間をアルテペトル(ナワトル語で水の山)と呼んだ。古代の人々にとってアルテペトルとは、地理的、環境的、かつ象徴空間を指す言葉だった。アルテペトルには人工的に作り出された領域のみでなく、そこから可視できる自然景観、さらに不可視の領域も包含されていた。自然景観の構成要素を神格化し、それを社会成員の間で共有化、そして物質化することにより、ある特定の地域に人々を密集させる原動力を生み出していたと考えられる。
31p




Home Mesoamerica目次