養蚕と生糸
転載元hhttp://rarememory.sakura.ne.jp/edo/edo.htm
蚕は紀元前から生糸を吐き出す昆虫として飼われていた。我国には中国からの渡来人により大化の改新の頃もたらされた、関西から関東へと、さらに平安時代には全国に普及したものとみられる。
自給用の衣料生産として養蚕は古くから行われていた。明和年間(1764~1771)になると生糸の商品生産が始まる。高島蕃は国産を奨励するため、文政7(1824)年桑苗の無償無制限給付の廻状を出した。これによって、天保年間(1830~1843)には、養蚕・糸とりが農家に広く普及した。
副業の発達により原料である繭が地元で得られたことは、大きな利点であった。また、文化文政(1820)頃には山梨県から繭を買入れたという記録があるなどすでに他からの入手ルートもあった。
続いて、「燃料である薪が手に入りやすかったこと」「動力として水車が利用できたこと」もあげることができる。交通が不便であった時代、これはかなり重要なことで、工業原料が乏しい日本では、その殆どを輸入に頼るが、その海外からの手当て、船積みと書類作成、国内輸送等の手間が省けた経済効果は大きい。一般的に、四方を山に囲まれた長野県は工業の発展には不利である。しかし、製糸業のように、加工しやすい原材料が近くにあるので、逆に有利になる。
もう一つの大きな理由は、諏訪が江戸期、重要な物流拠点であった事。古くから諏訪は、中仙道、甲州街道など、つねに上方と江戸を結ぶ街道交通の要衝にあった。この東西を結ぶ幹線道路によって、上方や江戸方面と生糸や綿製品の取り引きをすることができた。
京都方面へ販売する生糸を一般に登せ糸というが、享和年間(1801~1803)頃には、西陣に需要が増えて、この登せ糸の販路が拡大した。安政6(1859)年以後の横浜開港に神奈川からいち早く生糸の輸出をすることができたのは、このような生糸の販路が早くにできていたことが挙げられる。この時の生糸の相場の急騰が、さらなる養蚕、製糸の増産を促し、明治以降の発展につながった。以上の他、労働力を集め易かったこと、郡民が好奇心旺盛で進取の気性に富み、世界の動きに敏感であったことなどもあげられ、様々な理由が重なって、諏訪の製糸業は発達していくことになった。
養蚕、製糸は、耕地に恵まれない小坂村(岡谷市)・花岡村で早く、それが次第に広がった。製糸工場も立ち上がり、慶応2(1866)年には、上諏訪の問屋に糸会所もできた。そのころの郡内1ケ年の生産量は2,600余貫、そのうち最大の200余貫を商ったのが友之町(下諏訪町)の又四郎であった。彼は家屋敷も名請地もない人であった。
このころの製糸器械はいわゆる上州坐繰機で、坐繰(ざぐり)製糸といい1人が座って糸を繰る方法が主流であった。幕末から明治にかけて諏訪地方に広く普及したものだった。坐繰機の普及にともない、ごくわずかではあるものの、マニュファクチュアの発生が見られるようになった。明治初期には、3~5人という小規模な坐繰りの家内工業が行われており、近隣の部落からも取子を雇うようになった。
この頃、インドからの天竺糸や良質の唐糸が入ってくるようになり、同じ副業であった綿業は衰退してきました。綿業に携わっていた人々の中には、輸出によってその市場が拡大された製糸業へと転じる人もいた。
幕末には群馬・福島地方で生糸が多く産出された。長野の諏訪湖でも養蚕はおこなわれ、横浜開港(1859)にともない横浜に生糸を出荷している。
幕府・藩の財政建て直しとか、明治政府の殖産興業の奨励の意図もあったが農民の自立ということも大きい。米・麦中心の自給・自足経済から、酒、煙草、塩などが専売制になり現金がないと満足な生活が営めなくなる貨幣経済に農民が巻き込まれてきた。養蚕は老若男女の家内労働で現金を稼げる副業として畑を桑畑に変える人が増えてきた。蚕の種は江戸時代には信州(長野)は上州(群馬)を抜いていた。輸出もヨーロッパにしていた。明治に入ると養蚕業は信州全域に普及し、桑園面積は明治18年1万、23年2万、41年4万、昭和5年には8万町歩に達した。明治34年には群馬、明治41年には福島をこえ日本一になった。繭の生産は明治16年に群馬の2倍、福島の3倍にもなった。
明治末期には諏訪湖近くから山岳地方にまで養蚕は普及し、我国での生糸生産は、昭和5(1930)年には40万トンと史上最高になった。現在は1万トン、30万農家が3,000農家に激減した。現在は中国が世界の7割のシェア、日本は輸入国に転じた。(蚕の卵は食物の種子に似ている、そのため蚕種とも呼ばれる。それを孵化させ桑畑で栽培した桑の葉を摘んで餌をやる。やがて繭を作る、1匹で桑の葉を25g、サラダボール1杯分を食べ、吐き出す糸は1,500mもある。繭の中の蚕は蛹(さなぎ)になってから湯につけて蚕を殺し糸を巻き取る。一部の蚕は繭から成虫に孵化するのを待ち卵を取る。)