霧ケ峰黒曜石遺跡

八島遺跡群・鷹山遺跡群・諏訪湖東岸遺跡群

黒曜石の生成

転載元・http://rarememory.justhpbs.jp/kokuyou/


 後期更新世(12万6千年~1万1千7百年前)は寒冷期であったため、日本列島はロシア極東の大陸性気候の影響下にあり乾燥し不安定な厳しい環境に晒されていた。北方系の針葉樹林が列島を広く覆う植生で、堅果類に富んだ湿潤で比較的温暖な縄文時代のように落葉広葉樹林の面的な分布に乏しく、栗・山法師・胡桃・団栗などの植物食糧は極一部の地域を除き低調であった。
 この最終氷期に、地球史であれば僅かの期間であったが、複数回にわたりユーラシア大陸と陸接し、時期を違えながらシベリア系マンモス・ヘラジカと中国北部系ナウマンゾウ・オオツノシカなどが列島に拡散した。その大型種は古本土では2万年前頃に、北海道では1万6千年前頃に絶滅したと遺跡調査が証明している。
 マンモスの一種であるウーリーマンモス(ケナガマンモス)は、現在のところ、北海道各地だけに出土している。マンモス属の一種のムカシマンモスは、約120万から70万年前にかけて日本各地に生息し、その化石が本州各地で出土もしている。ただムカシマンモスはナウマン象の種類に含まれるとする意見もある。

 黒曜石は主として、火山から噴出する流紋岩質マグマが、高温高圧の状態で地上に噴出し、再度、地表近くに貫入して、安山岩に接して急冷した時に、「黒曜石」が生じると言われている。主に溶岩性の黒色ないし暗色透明であるが、赤色系、茶色系、白色系もある石英天然ガラスで、加工しやすく、その縁辺(へんぺん)は鋭利で、石刃(せきじん)・ナイフ形石器・石槍・石鏃 (せきぞく)・石斧(せきふ)・石錐(せきすい)等、その用途は広い。

「信州系」と言われる黒曜石には、2大系統あり、北八ヶ岳連峰の縞枯山付近の国道299号沿いの茅野市の冷山(つめたやま)、渋の湯・佐久穂町麦草峠、大石川上流、双子池など八千穂村の麦草峠を中心とする原産地群がその1系統で、もう1つが諏訪湖の北東13Kmに位置し、径約5Kmの半円内、八島ヶ原湿原周辺にある和田峠、新和田トンネル、星ケ塔、星ケ台、丁字御領(和田峠)・小深沢(和田峠)・東餅屋、鷲ヶ峰、星糞峠(ほしくそとうげ)、男女倉(おめぐら)・東俣などの原産地群がひしめく。
 信州にはさらに浅間山南東麓の軽井沢町長倉の大窪沢も黒曜石の原産地であった。
 各々の溶岩の噴出年代と火山系が違うことから成分も異なり、出土品の原産地が明らかになっている。








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