霧ケ峰黒曜石遺跡

八島遺跡群・鷹山遺跡群・諏訪湖東岸遺跡群

後期旧石器時代の砥石が教えてくれる事

転載元・http://rarememory.justhpbs.jp/kokuyou/



 砥川(とがわ)は、長野県下諏訪町西部を流れる一級河川で、車山に源を発し、観音沢から諏訪湖へ流入している。フォッサマグナ形成期に発生したムラサメ変質作用(珪化作用)で、この付近の火成岩や安山岩が村雨石となった。砥川の場合は、これを砥石に使っていて、これが砥川の名前の起こりになっている。

 吹野原(ふきのはら)A遺跡(上水内郡信濃町大字古間)・貫ノ木(かんのき)遺跡(上水内郡信濃町柏原)・仲町遺跡(上水内郡信濃町大字野尻)などでは、後期旧石器時代前半期の砥石が出土している。いずれの遺跡でも刃部(じんぶ)がよく研磨された石斧が出土している。それらの石斧の多くは磨製石斧とその再生剥片が、近接するブロックで伴出している。近年、野尻湖周辺で石斧が大量に出土し、砥石が共伴する事例が増えている。砥石の研磨面に残る1条から数条の砥ぎ痕と、共伴する磨製石斧の刃部の角度と幅が一致している。
 当時代の砥石は主に石斧の刃部研磨に使用されているが、伴出する石斧の点数に比し砥石の数が少ない。しかも砥石には多状の研磨痕で深く抉られ、反復的な動作連鎖が強く想定される。また共伴する磨製石斧は成形上の完成品で、刃部のみが研磨される専門の作業所があり、器体の成形調整段階では研磨されてず、砥石による砥ぎは石斧を完成させる最終工程と摩耗石斧の再利用加工の専門作業で、その固有の製作工程は、当時の剥片素材石器遺跡群に顕著にみられ工程別異所製作場の存在を証明する。

 関東地方平野部の遺跡から八島ヶ原周辺及び鷹山周辺の黒曜石が多数出土している。磨製石器の製作には石材原石の入手、その打ち割りから最終研磨まで一連の作業工程がある。
 埼玉県所沢市の砂川遺跡では、明治大学考古学研究室の遺跡調査によれば、石器類の出土地点の全記録と出土した石器類の接合調査が初めて試みられ、ナイフ形石器等の製作工程の全貌が明らかになった。砂川遺跡は、狩場で石器製作も行われた旧石器時代の標準的集落とみられている。

 長野県小県郡長和町の鷹山遺跡群は、関東地方の平野部へ石器を運び出すため、その黒曜石の原産地で、砂川遺跡の遥か数千倍の労力を費やし石器を量産していた。大規模な石器製作工業団地であったといっても過言ではない。
 いろいろな面で、諏訪湖の北東13Km、八島湿原周辺の径約5Kmの半円内にある圏内は、松沢亜生(まつざわ つぎお)や戸沢充則(とざわ みつのり)が先駆的研究をして、考古学史上に燦然と語り継がれ、やがて本格的な調査の再開が待たれる地域である。








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