霧ケ峰黒曜石遺跡

八島遺跡群・鷹山遺跡群・諏訪湖東岸遺跡群

ジャコッパラ(蛇骨原)遺跡

転載元・http://rarememory.justhpbs.jp/kokuyou/



 池のくるみの南端から立ち上がる丘「五千尺」から霧ヶ峰牧場まで、なだらかに延々と続く斜面がある。その霧ケ峰高原の南半分を占める南北に長い高原台地を「ジャコッパラ」と呼ぶ。霧ヶ峰牧場は大井競馬場の大山末治調教師が夏の馬の避暑地として利用した牧場で、サラブレッドの生産も行われていた。「ジャコッパラ」は開拓地で、牧草地や農地があり、その周囲の尾根は植林地であった。
 近年、別荘地開発が許可され、旧石器・縄文時代の遺跡への影響が懸念され、初めてこの地域全体の遺跡分布調査がなされた。予想された通り、縄文時代の落とし穴遺構が発見されなど両時代の遺物が殆どで、旧石器時代の物が特に濃密に遺存しジャコッパラ遺跡群と呼ばれた。特に北寄りの池のくるみに近い方から集中的に遺跡が出土し、調査は継続中であるが両遺跡群とも年代的にも重なり、一帯として研究されている。
 池のくるみ遺跡同様、約3万年前より遡る台形石器が出土し、2万年前前後以来、隆盛した木の葉形尖頭器も出土している。
 「五千尺」を越えた南東にあるジャコッパラ第八遺跡は平成4年の道路工事中に発見され発掘調査が行われた。桧沢川右岸の小さな丘の末端部にある。工事で遺跡が破壊されたため全容は失われたが、出土した石器は385点あった。通常遺跡から出土する大部分は剥片である。旧石器時代の主要な槍先石器を作る過程で大量の剥片が生じるが、石器原石は貴重で、特に黒曜石であれば種々の掻器・削器・錐器など定形的石器として仕上げられたりもした。
 この遺跡からは、2万年前前後のナイフ形石器が殆ど出土していない。寒冷期の草原や沼沢を広域に回遊する大型動物の絶滅により、中小型の狭いテリトリー内を周回する動物が狩猟対象となり、狩場の移動がその生息地の平原部が主となり、石材も周辺地の身近な原石を活用するようになっていた。遠隔地の黒曜石原産地まで往復移動し、狩猟具の製作をする余裕と必然性が失われていた。
 ジャコッパラ第八遺跡では石刃と呼ばれる短冊形の剥片が少なく、5㎝にも満たない一見不定形で、扇形の左右非対照の石器が多く出土している。これが細石器である。組合せ式槍先で縄文時代に繋がる旧石器時代晩期の遺物である。
 この遺跡からは、ハンマーとして使われた石器も出土している。安山岩製で長さ15cm、幅5㎝、厚み3㎝、原石を叩いた「つぶれ」も明確に残っている。このハンマーストーンで、黒曜石原石を叩いて不純物などを取り除き石核を作り、それから剥片を剥がし、剥片の部分をさらに叩いて2次加工をする、直接打撃法による石器製作である。更に鹿角などの軟らかい材質のパンチ(たがね)を、加工石にあて、ハンマーで叩く「間接打撃法」より製作された石器も出土している。

 平成5年、踊場湿原の南側の「五千尺」の西端の窪地にジャコッパラ第12遺跡が発見された。この地にはかつて小川が流れていた。その小川を中心に石器が集中する3ヵ所の遺跡が発見された。いずれも5㎝未満の投げ槍用のナイフ形石器と細石器が多数出土している。後期旧石器時代の後期・晩期の遺物であった。
 ジャコッパラ第12遺跡では、2点の「打製石斧」が出土している。1点は長さ23.3㎝、幅6.3㎝、厚さ1.3㎝の撥形、もう1点は長さ17.2㎝、幅6.9㎝、厚さ2㎝の草鞋形で、両方とも粘板岩製で、しかも横に2つに折れていた。粘板岩は片理に沿って薄く板状に剥離する性質をもつ、その自然石を巧みに利用して、2次加工は刃と柄の部分に施されているだけだ。一般に打製石斧は大きさにばらつきがあり、使用痕跡にも違いが見られ、土堀り・動物の解体・伐採と木材の加工など複数の機能があったと考えられている。石斧と名はついていても実際にどのように使っていたかは未だ定かでない。厳密には打製斧形石器というべきではないかとも言われている。
 ジャコッパラ遺跡で出土した石斧は、石質が脆い粘板岩である。実際折れた状態で出土している。掘削用にも伐採用にもむいていない。しかし片理に沿って薄く板状に割れやすい性質をもつため、同様のものが複数製作できる。また狩猟用に、投擲に便利な重量と鋭さで加工できる。「打製石斧」は旧石器時代の各地の遺跡から出土しているが、ナイフ形石器などとは違い、各遺跡から数点程度しか伴出しない。
 投げ槍が投槍器から投じられ、ナイフ形石器、そして細石器の穂先が鋭く軽量化すると、飛距離と命中率が増すが、通常、即死するまでには至らない。狩人達は、手負いの獲物を追い続け、弱ったところで突き槍で止めを刺す。ジャコッパラの「打製石斧」は、その穂先であったと考えられる。耐衝撃が劣る粘板岩なのに、敢えて薄く加工したのは、その刺突力を高めるためであった。

 ジャコッパラ遺跡から、さらに南に下り、JR諏訪駅の北側、丸光の北側の段階状の丘陵に北踊場遺跡がある。出土した木の葉形尖頭器は、押圧剥離法で加工されたと考えられ、非常に細密な剥離の作業が施されてる。押圧剥離法の一例をあげれば、鹿皮等を膝頭に敷き、剥片をその上に置き、手に持った鹿角等の尖端を、目的の剥片の縁辺に押しあてて、少しずつ剥がしていく方法だ。高度な手工技術で裏打ちされている。旧石器時代には、既に加工技術は精緻で、職人芸といえる領域に達していた。その技術の蓄積と承継は、最重要な文化として縄文時代に伝承されていった。
 それをジャコッパラ遺跡が語る。








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